「農家になりたい」本庄で夢を実現

多くの人の手助けで今がある

2011年埼玉県さいたま市→本庄市へ移住

赤城山を望む、小高い丘をゆっくり登り進めていくと、牧野英二さん、涼子さんが営む「こだまの丘農園まきの」が見えてきます。田園風景が広がる本庄市・児玉の地に居を構え、新規就農を実現させたお二人の「新たな暮らし」についてお話を伺いました。

現在、農家としてナスやゴーヤ、ブロッコリー、レタスなどをメインに育てている牧野さん。収穫物は農協に出荷するほか、JA直売所やレストランに卸したり、宅配販売を行うなどしています。移住当初50aで始めた畑も、地域の人からの声掛けもあり、今では250aに。農作業もすっかり板についた様子です。「私たちは県内のサラリーマン家庭で育ち、農業は全くの未経験でしたが、結婚当初から『いつか農業をやりたいね』という話は何度も出ていました。ただ、新規就農はハードルが高く『まだまだ先か、定年後かな』とぼんやり考えていました」と涼子さん。

「児玉で暮らしたい」離れてからも
思いが消えることはなかった

牧野さんご夫婦

当時、英二さんは農業機械の研究開発者として、涼子さんは酪農ヘルパーとして働き、互いの職場である大宮や児玉地区を往復しながら生活する日々でした。涼子さんが出産を機に酪農ヘルパーの仕事から離れ、英二さんの職場に近い大宮に住むことになりましたが、「児玉で暮らしたい」という思いが消えることはなかったと言います。「子供が小学校に入る前の今がチャンスかもしれない」と、ある時思い切って県の農林振興センターに連絡をしてみたところ、紹介されたのが本庄市農業委員会会長を務める、田端講一さんでした。

田端さんの下、仕事を続けながら1年ほど栽培技術の研修を受け、準備を進めた二人。「就農による移住は、環境だけでなく仕事もガラっと大きく変わることになるので、ちゃんとやっていけるのか、食べていけるのかといった、経済面での不安がありました。それに、農業をやるには農機具などを収納する場所や作業場が必要です。その条件を満たす家が見つかるかどうかといったことも、気になる点でした」。

“百姓は百の仕事をするもんだ”
胸に響いた師匠の教え

牧野さん1

田端さんの紹介でようやく家が見つかり、引っ越しの準備を始めたのは、なんと2011年の3月。東日本大震災の直前でした。「大宮から通いで家の修繕をしていた最中に起こったのがあの地震です。影響は大きく、ホームセンターに行っても資材がない、ガソリンも足りない状態でのスタート。『本当にこれから移住するの?』と色々な人に言われましたが、もう退職の手続きもしてしまっていた。『やるしかない』と逆に覚悟が決まりましたね」と英二さんは振り返ります。

家のリフォームにあたっても、田端さんは力になってくれました。「これから新生活を始めるのに、いちいち業者を頼んでいたら、いくらお金があっても足りないよ。百姓は百の仕事をするから、百姓なんだ。なんでも自分たちでやらなくちゃ」と農家の心得について説いた上、自ら釘や手道具を持って丁寧に大工仕事を教えてくれたそうです。「畳やクロスの張替から、旧式のトイレの撤去まで。今までやったこともないから、辛くて泣きながらやっていました(笑)」

 

こんなに地域の人に受け入れて
もらえるなんて、意外でした

牧野さん2

移住前には「自分たちは地域の人たちに受け入れてもらえるのだろうか」という不安も二人にはあったと言います。ところが、そんな心配は無駄だったと思えるほど、ここはオープンな土地柄でした。「ご近所の方たちは皆さん親切で。生活の準備が整わない中で、お裾わけをくれたり『秋に収穫したいなら、今すぐサトイモを植えなくちゃ間に合わないよ』と種を持ってきてくれたりととても気にかけてくれました。言われるままに急いで植えましたが、秋には実りがあって、本当に助かりました」と涼子さん。

栽培に関しても、多くの人の手助けを借りながらやってきたと言います。「当初からナス栽培をメインの一つにしたいと思っていましたが、田端さんはそれに適した場所をわざわざ開墾して、肥料を入れた良い状態の畑にして貸してくれたんです。苗も不足しているのを知って、農協の人たちに声をかけ、400本も集めてくれました」。こうした心強いサポートによって、移住、新規就農は軌道に乗り、現在の農園へと姿を変えていきました。

ご夫婦畑で

今後の目標を聞いてみると―。
涼子さん「現在、『本庄農業女子』というグループを作って、本庄の農業をより知ってもらうための活動を始めています。イベントでのPRのほか、カフェとコラボして野菜ソムリエの資格を生かした野菜料理を提供できないかと考え中です」。
英二さん「僕たちはさまざまな人のサポートがあってここまで来ました。今度は、移住してくる人たちに対して、自分たちが支える側になれたら良いなと思います」。
苦労がありながらも、地域の人々の温かさに支えられてきたエピソードをたくさん話してくれた牧野さんご夫婦。本庄への移住はお二人にとって幸せな出会いの連続になったようです。

「去年の5月、腰を痛めてしまって動けなくなった時があったのですが、その時二人の娘がなんと、600本ものナスの苗を植えてくれたんです。『大きく育つんだよ~』と苗に声をかけながら畑の周りを楽しそうに走り回っていたのが印象的でした」と英二さん。自然を大切にする気持ちや、困っている人を助けるといったこの地域の人々の姿勢が、お子さんたちにも受け継がれているのかもしれません。

埼玉県本庄市児玉町塩谷

牧野英二さん・涼子さん